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プロ野球ドラフト会議のルールの変遷と時代背景

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プロ野球ドラフト会議の正式名称は「新人選手選択会議」です。その名前の通り新人選手を獲得する為の選択権を得るための会議です。ドラフト会議は発足当時から今まで、その時代に合わせて少しずつ変化をしてきました。その変化を感じられるようにまとめてみましたので紹介したいと思います。

ドラフト制度の変遷

ルールはその時代を映す鏡のように色濃く反映されています。それに伴い不正やお金の話もつきものです。特にこのドラフト会議ではそれが顕著にあらわれているように感じます。

1964年

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出典: 西日本新聞フォトライブラリー

西は当時のプロ野球界が新人選手の争奪が激しくなるにつれて、人件費がはね上がってしまい、資金力のない球団ほど非常に不利な状況になってしまう当時の日本の野球界の現状を懸念し、ドラフト制度の導入の必要性を訴え、セ・リーグ側球団の説得を続けた。その結果、国鉄スワローズ、中日ドラゴンズが賛成に回り、条件の9球団に達するに至った。

引用:Wikipedia

この人が西亦次郎(にし またじろう)1909年〜1974年です。社長にしてはかなり若いですね。球団の社長というとおじいちゃんというイメージでしたので計算したら、若干42歳で球団の社長に上り詰めたそうです。

資金力のある球団は良い選手を獲得することができて、そうでない球団は良い選手を獲得できないという状況は、年々その額が上昇し最終的にはとてつもない資金がないと獲得できない状況を生んでしまうという悪循環になってしまうんですね。

 

1965年[第1回プロ野球ドラフト会議]

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出典:毎日新聞

11月17日、第1回ドラフト会議が開催された。事前に各球団が獲得を希望する選手(30名以内)に順位を付けた名簿を提出して、名簿1位が重複した場合には抽籤を行い、外れた球団は名簿2位の選手を代わりに獲得するというようにしてドラフト1位選手を確定するという独特の方式で行われた。これはドラフト1位の指名だけであり、ドラフト2位以下は通常のウェーバー方式と逆ウェーバー方式での指名を交互に行った。

引用:Wikipedia

今のプロ野球ドラフト会議の基本が今でも引き継がれているという事は、かなり完成度の高いルールだという事ですね。しかし写真を見る限りではかなり簡素化した会場というよりは、会議室みたいな場所で行われたんですね。時代を感じます。

 

1966年[第2回プロ野球ドラフト会議]

社会人と高校生のうち国体に出場しないものを対象とする9月の第1次ドラフトと、大学生と国体出場者を対象とする11月の第2次ドラフトの2回を開催した。

引用:Wikipedia

年に2回もドラフト会議があった時代だったんですね。夏の甲子園が終わったら息つく暇もなくすぐにドラフト会議だったんですね。これはちょっと忙しいですね。

 

1967年[第3回プロ野球ドラフト会議]

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出典:SANSPO.COM(サンスポ)1970年12月22日、ヤクルト・アトムズの新入団発表で。左から若松氏、三原脩監督、ドラフト1位・山下慶徳

それまでの名簿を提出する制度は廃止され、予め抽選で決めた指名順に基づいて順番に選手の指名を行うこととなった。この際、奇数位の指名は降順、偶数位の指名は昇順に行う。これにより、2位指名でのウェーバー方式で保たれていた下位球団の優先権が消滅した。

引用:Wikipedia

わかりやすく説明すると、まずペナントレースで最下位のチームから「予備抽選クジ」を引いていき、決まった順番で「本抽選クジ」を引いて、「本抽選クジ」で決まった順番で選手を獲得していく方式です。2巡目からは1巡目とは逆の順番、3巡目は2巡目と逆の順番(ウェーバー方式)で指名していきます。

それにこの当時は、前の球団が指名した選手は後の球団は指名できないルールで重複指名ができない決まりでした。

本抽選クジで1番を引いた球団が1番良い選手を獲得できるルールです。

 

1978年[第14回プロ野球ドラフト会議]江川卓「空白の1日」事件

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出典: web Sportiva|Baseball

制度を一新し、全球団が同時に一人ずつ選手を指名し、重複した場合に抽選を行う方式が採用された。1位の指名に関しては1965年から1966年に採用されていたものと似ているが、2位以降も続ける点が異なる。抽選で外れた球団のみが対象であるが、奇数位はウェーバー方式、偶数位は逆ウェーバー方式で代替選手を指名することで、下位球団がわずかながら優遇されるようになった。

引用:Wikipedia

このドラフト会議で話題になった選手は、今はプロ野球の解説でおなじみの江川卓(えがわすぐる)さんです。当時江川さんはアメリカ留学の予定だったんですが、それが急遽帰国し、なんと巨人に入団しました。この裏には「空白の一日」と題して様々な方の思惑や施策があったようです。詳しくは下にリンクをはっておきますので、知りたい方はどうぞ。

「空白の一日」事件 web Sportiva|Baseball

 

1991年[第27回プロ野球ドラフト会議]

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出典:Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー公式サイト

4位まではそれまでと同様に行い、5位以降の指名はウェーバー方式、逆ウェーバー方式を交互に行うように改められた。この年からドラフト外入団が廃止された。

 引用:Wikipedia

この年、オリックス・ブルーウェーブに4位指名で入団したのがのイチロー選手です。当時は4位指名ということもあり、注目はされていませんでしたがその後、めきめきと頭角を現し、今ではメジャーで大活躍する超一流選手ですね。当時の年俸は420万円だったのですが、ゴロが悪いと言って変更になったという話もあります。

 

1993年[第29回プロ野球ドラフト会議]

有力な選手が希望球団に入団できるように「逆指名制度」が導入された。これは、高校生以外の新人選手について、入団を希望する球団を選手が指名し、指名された球団がドラフト会議でこの選手を指名することで優先的に獲得できるというものである。逆指名が適用されるのは1位と2位の選手だけであり、3位以降はウェーバー方式、逆ウェーバー方式を交互に行うことになった。

 引用:Wikipedia

選手の中には希望の球団に入団できずに泣いてしまう選手もいました。それほどこの問題は深刻だったのです。

●逆指名制度が始まり契約金は青天井

この年から選手に「逆指名権」が与えられた。選手からの逆指名を勝ち取るために契約金は青天井になり、契約金1億円以上の選手が続出した。

しこたま金をもらった一部の選手は、税金逃れのために名古屋市の経営コンサルタントから指南を受けて所得税を脱税。しかし四年後の1997年に発覚し、球界を揺るがす大騒動となった。そればかりでなく、経営コンサルタントに他の選手を紹介して、多額の「紹介料」をもらっていた選手がいたこともわかり、「永久追放だ。処分が甘い」の声もあがった。

1993年(平成5年)ドラフト会議

真っ黒すぎてどうしようもないですね〜。確かにこれだけの脱税をしておいて、選手のひとりは8週間の出場停止処分の罰金700万円だけだったり、一番軽い処分で4週間の出場低処分の罰金350万円という事で当時はかなり問題になりました。

▼脱税事件で処分された選手▼
選手名 ドラフト 契約金 所得
隠し額
脱税額 懲役 執行
猶予
罰金 出場停止
渡辺秀一 1993年ダイエー1位 7500万円 3500万円 2236万円 1年 2年 550万円 7週間
小久保裕紀 1993年ダイエー2位 16000万円 6000万円 2833万円 1年 2年 700万円 8週間
波留敏夫 1993年横浜2位 10000万円 4000万円 1705万円 10月 2年 450万円 7週間
川崎義文 1993年横浜4位 7500万円 3500万円 1279万円 10月 2年 350万円 4週間
万永貴司 1993年横浜6位 7000万円 4000万円 1413万円 10月 2年 350万円 4週間
鳥越裕介 1993年中日2位 7500万円 3500万円 1323万円 10月 3年 400万円 4週間
三輪隆 1993年オリックス2位 12000万円 5000万円 2050万円 1年 3年 500万円 7週間
選手名 ドラフト 契約金 所得
隠し額
脱税額 懲役 執行
猶予
罰金 出場停止
山田洋 1994年中日2位 10000万円 4000万円 1474万円 10月 3年 450万円 5週間
北川哲也 1994年ヤクルト1位 14000万円 3500万円 1248万円 10月 3年 350万円 4週間
宮本慎也 1994年ヤクルト2位 10000万円 3500万円 1318万円 10月 3年 350万円 4週間

1993年(平成5年)ドラフト会議

 

2001年[第37回プロ野球ドラフト会議]

ドラフト会議以前に各球団2名までの選手を契約締結内定選手として自由に獲得することができる。
高校生やこれに準ずる選手を獲得することはできない。
使用は義務ではなく、使う場合でも獲得人数を1人のみとするか上限の2人とするかは各球団の自由である。
自由獲得枠によって獲得された選手は、ドラフト会議における通常の選手指名で他球団に指名されない。

 引用:Wikipedia

この年から、最大指名人数が全球団合計で120人となり、球団ごとの最大指名人数に制限がなくなったそうです。

 

2005年[第41回プロ野球ドラフト会議]

自由獲得枠は「希望入団枠」に改められ、10月に高校生を対象とするドラフト、11月に大学生や社会人などを対象とするドラフトの2回に分けて行われることとなった。また、2005年に限り、育成選手を選択するための育成選手ドラフトが12月に開催されたが、2006年以降は通常のドラフト会議に続いてこれを行う。

引用:Wikipedia

ここでまた昔の様に、高校生と大学生・社会人と二つに分けられたんですね。そしてこの年のドラフト会議では高校生ドラフト会議で抽選結果が誤って発表され後から交渉権獲得球団が訂正されるというドラフト史上初のトラブルが発生したそうです。そんな事が起きるんですね。球団にとってはぬか喜びでしたね。 

 

2007年[第43回プロ野球ドラフト会議]

西武ライオンズの裏金による不正が発覚したことをきっかけに、裏金の温床となる懸念から希望入団枠廃止の議論が持ち上がり、当年度の会議より希望入団枠が廃止された。

引用:Wikipedia

西武ライオンズの裏金問題の詳しい事は下記にリンクをはっておきますのでどうぞ。

「西武裏金事件」の本質 (玉木正之の「スポーツ・ワンダーランド」)

 

2008年[第44回プロ野球ドラフト会議]

高校生選択会議と大学・社会人選択会議が再び統合され、一括開催となった。

引用:Wikipedia

ここでまた高校生と大学生・社会人が統一され、現在のルールになりました。1992年以来、全ての選手が対等で指名される様になりました。

発足当初からはそこまで大きくは変わってはいませんが、やはりその時代に合ったルールに変更になったりしていますね。

後は裏金問題ですね。2012年にも巨人が6選手に総額36億円を渡していた事実がありましたが、この時巨人は法律違反ではないと開き直る一歩で話になりませんでした。スポーツ衰退の影には必ずこういった、あまりよろしくないお金の話が付き物ですね。

ルールは今後も時代背景に応じて変更しては戻しての繰り返しでいく事でしょう。